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サクソン人は土地を奪われた

ウィリアム1世の支配の下で、サクソン人は土地を奪われた。サクソン人の一部はスコットランドや各地に逃亡し、はるか東ローマ帝国に傭兵として雇われるものもいた。

ウィリアム1世は所領を与える際、まとまった一地域を与える代わりに各地の荘園(マナー manor)を分散して与えた。征服が少しずつ進んだことによる必然でもあるが、このため一地域を半独立的に支配する諸侯は生まれなかった(王族などに例外はある)。諸侯は所領が分散しているため反乱を起こしにくく、また支配地域の安定のために王の力に頼る必要があったため、王権は最初から強かった。

その一方、諸侯たちはお互いに頼りあうことになるため、王に対しても協力して対抗しやすく、後にマグナカルタやイングランド議会の発展につながる要因となっている。

また全国の検地を行い、課税の基礎となる詳細な検地台帳(ドゥームズデイ・ブック)を作り上げた。当時は、フランス、ドイツ、イタリアは大諸侯が割拠する封建制であり、イングランドの体制は西欧で最も中央集権化が進んでいた。

フランス王の封建臣下であるノルマンディー公が同時にイングランド王を兼ね、フランス王より強大になったことによる両者の争いは、プランタジネット朝においてさらに激しくなり、百年戦争を引き起こすことになる。
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また、それまでのイングランドではスカンディナビア、ゲルマン文化の影響が強かったが、フランス文化がこれに取って代わることになり、政治的にもフランスと深く関連することになる。

ウィリアムに従う北フランス各地の貴族たちは、ひとまずイングランドに定着したが、その後しだいにウェールズ、アイルランド東南部、スコットランドにも広がってゆき、フランス北西部とブリテン諸島は北フランス文化圏に組み入れられることとなった。

ノルマン人の子孫であるノルマンディーの貴族たちは、移住してから100年程度たち、風習、言語ともにフランス化していたので、イングランドではそれまでのテュートン系古英語に代わり、ノルマンディー方言を中心とする北フランスの言語(ノルマン・フレンチ、アングロ・フレンチ)が貴族社会の言語となった。

動物を示す英語と、その肉を示す英語が異なる(例:豚 - pig, swine/豚肉 - pork; 牛 - cow, bull, ox/牛肉 - beef; 羊 - sheep/羊肉 - muttonなど)のは、イングランドの被支配層が育てた動物の肉を、ノルマンディーからの支配層が食用としたために、二重構造の言葉となったケースの典型といわれている。その他の例にyardとgardenなどが挙げられる。

このほかにも、文化的な語彙を中心に、多くのフランス語が英語に流入した。なお、当時のフランス語では ch (多くラテン語の c /k/ に由来)と書いて /t?/ と発音したが、その後転訛が進み、現代フランス語では /?/ となった。当時の発音は英語の中に遺されているということになる(例:Charlesはフランス語ではシャルル、英語ではチャールズと読む)。

また、法廷や公文書などもフランス語で表記された。これは1362年に『訴答手続規則』(The Statute of Pleading)において英語を用いるように定められるまで続けられた。

1066年はハレー彗星が地球に接近した年であることが、後にわかった。ノルマン・コンクエストを表現したバイユーのタペストリーの中に彗星が描かれているものがあるが、この彗星がハレー彗星であることが18世紀になって証明された。

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2009年04月30日 12:04に投稿されたエントリーのページです。

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